DATE 2008.12.27 NO .
「――エドガーは、少し変わったか?」
「……父上?」
父の問い掛けに、マッシュは豪勢な料理の数々から意識を逸らし、顔をあげる。
「以前よりもさらに社交的になったというか……何だろうな、息子の事だというのにうまく表現出来ん」
「社交的、ですか……」
マッシュは、少し前に自分の傍を離れていった兄の姿を捜す。
――時間はほとんどかからなかった。
パーティーの喧騒から少し離れたところに出来ている人の輪。あの中心にいるに違いない。
そう考えてからざっと見渡してみても、自分と同じハニーブロンドに蒼いリボン、という姿は見当たらなかった。金に蒼、王族だけに許されたその装いがどこかに紛れるはずもない。
「兄貴は最近、グウィネヴィアから特訓されてるんだ、って言ってました」
「特訓?」
「はい、何か言ったり行動したりするたびに、『いい男はそんな事しないの!』って怒られるんだそうです」
そこまで言ってから、少ししゃべりすぎたかとマッシュは焦る。年上の親族とはいえ、エドガーは王位継承者の一人なのだから。
けれどその王位継承者の父親は怒る事などせず、むしろ笑みを浮かべながらグラスの中身を飲み干す。
「そうか。グウィネヴィアが…な。あれはクリステールとそう歳も変わらぬ。……マッシュは話したりなどせぬのか? 先程から食べてばかりではないか」
食べてばかり。そういえばそうだ。言われて初めてマッシュはその事実に気づく。
笑ってごまかしながら、それでも頭の中は、この祝宴が始まってすぐに兄と交わした会話の事でいっぱいだった。
兄と弟といっても、双子。この世に生を享けてから同じだけの歳月を、同じ環境で過ごしてきたはずで。
けれど自分が度々病気で寝込んでいる内に、兄はどんどん先へ先へと進んでいく。
将来求められるであろう事柄においては、嫉妬する余地さえないほどの才を見せる兄。
その兄の弱い一面を見た気がして、マッシュはどうにも落ち着かなかった。
(俺は……どうやったら兄貴の力になれるんだろう)
双子の王子の誕生日を祝う宴は、まだ、始まったばかりだ。
*
「――で・ん・か」
「……っ!?」
唐突に耳元で声が響き、エドガーは危うく模型の上に工具を落とすところだった。
「期待通りの反応、どうもありがと〜」
振り返ると、そう言って本当に楽しげに笑うグウィネヴィアの姿があった。
華奢な手に似合わない、大雑把な手つきで頭を撫でられ、エドガーは顔をしかめる。
「子供扱いしないで下さいと何度言ったら――」
「悔しかったら早くいい男になりなさいって」
出会って何度目かわからないため息をついているうちに、グウィネヴィアは正面に回り込んでいつもと同じように模型を眺め始めていた。
正式に当主となり王への挨拶も終えたというのに、時折、こうやってエドガーの元に姿を見せる公爵様だった。
「それやってると、ほんとに目の前のものしか見えてないのね。…あ、何か綺麗になってる」
「えぇ、もうすぐです。これは私の夢の象徴ですから、細部まで丁寧に仕上げたいのです」
納得のいくまで磨いて、色をのせて。
いつか本当に空を飛ぶ機械を造り上げるまで。
この情熱を忘れないように、夢のカタチを残しておけるように。
「夢……? そういえば、陛下が仰っていたわね。エドガーはマシーナリーに向いているんだろう、って」
「父上が?」
基本的には何事にも厳しい父がそんな事を言っていたというのは、エドガーにとって驚くべき事だった。
そしてその驚きの消えるよりも早く、グウィネヴィアが思いもよらぬ力でエドガーの両肩を掴み、蒼く大きな瞳にエドガーを映す。
「そうよ。私もそう思うわ。……即位しようがしまいが、そんなの関係ない。その夢、大事にしなさいよ?」
「は、はい……」
どこかいつもと違う雰囲気でそう言った時のグウィネヴィアの表情は今も、エドガーの瞼裏に焼きついている。
「――叔父上!」
パーティーの喧騒から離れていく枢機卿を見かけて、エドガーは慌てて駆け寄った。
現国王の実弟・フランシス=ラバーン卿は、枢機卿の象徴的な紅の衣の裾を翻し、甥の方に向き直る。鋭い視線に一瞬怯みかけたものの、何とか背筋をぴんと伸ばし、挨拶をしようとエドガーは口を開いた。
「叔父上、今日は――」
「私はこれにて失礼する。…兄上とマッシュにもよろしくな」
だがそれは、途中で遮られてしまった。有無を言わせぬ口調でそれだけを言うと、枢機卿はまた背を向け、去って行く。
(やっぱり、駄目か……)
枢機卿と会うと、嫌われているのかな、といつも不安にさせられる。
王弟と王子、という立場上うまくいかないものなのだと思っていたが、マッシュを一人で見舞っているのを見かけたり、本をもらったと喜ぶマッシュの顔を見ていると、自分のせいなのかと焦りを覚えた。
(嫉妬なんかじゃない。俺は絶対マッシュにそんな感情を抱いたりするもんか……)
何とかしておかないと、いずれ政争の種になる。
そう思い悩みながら戻ろうとした、その時だった。
「――ほんっとにそっくりね」
背後からの声は、エドガーが今まで捜していた人のものだった。
「……たまには、正面から声を掛けて下さいませんか」
心の準備が出来ていなかったせいか、エドガーは跳ねる心臓を落ち着かせようと必死ながらも、何とかそれだけを返した。
「何で? びっくりしてる方が面白いじゃない……ってそんな事じゃなくて」
それにしても今まで彼女はどこにいたんだろう。
いつものような動きやすい服装ではなく、今日は身分と地位に相応しいだけの豪奢なドレスをまとっている。マッシュの傍を離れる少し前までは、確かにこの場にいて、とても見失う事などないと思っていたのに。
「誰かに言われた事ない? 枢機卿とそっくりですね、って」
「そっくり……顔が、ですか?」
そんな事、父にも言われた事はない。エドガーは首を傾げた。
「顔っていうか、もう全部。エドガーがあれくらいの年になったら、きっとあんな風になるわよ、間違いなく。エドガーを見てても、卿の10代の頃に瓜二つだもの」
「それは、どういう……」
話についていけずに、エドガーは戸惑う。
グウィネヴィアは若干芝居がかった仕草で声をひそめた。
「あ、もちろん不義密通だとか物騒な事を言いたいわけじゃないの。ただ、皮肉なもんよねーって、思っただけ。もし私が卿だったら、落ち着いてあなたの事を見ていられないかもしれない」
けれど声は真剣だった。
何が「皮肉」なのかはわからないものの、さっきまでの焦燥感が和らいでくるのが自分でもわかる。
「だから、自分ではどうにもならない事にぐだぐだと悩んだりしても時間の無駄! とりあえずパーティーを楽しみなさい!」
最後にどん、と背中を叩かれる。
「……はい」
鼓動も、いつの間にか落ち着いていた。
「ところで、何やら楽しそうですね。何かいい事でもありましたか――」
*
「なぁ、マッシュ。覚えてるか?」
「どうしたのさ、突然」
「ほら、こんなパーティー会場で、
『俺達も結婚してウェディングケーキ食べようぜ』って馬鹿な話をした事」
「あぁ、あったねそんな事も!
俺達、ほんと馬鹿だったなぁ……結婚なんて、まだまだ想像も出来ないや――」
「――俺、さ」
「兄貴?」
「……好きな人が、出来たんだ」
いつからかなんて、きっと本人にもわかりはしない。
兄が想いを吐露するのを半ば呆然と聞きながら、マッシュは、自分がまだ感じた事のない感情に揺れる兄の横顔を見ていた。
「あそこにいる……グウィネヴィアの事が、な」
いつの間にか、エドガーは彼女の事を呼び捨てで呼ぶようになっていた。
自分と一緒にいる時だけだという事にマッシュが気づくまで、そうかからなかった。
「ははっ、そんな顔するなよ!
……わかってる、自分の意志だけでは決められないって事くらい、わかってるさ」
「――あれはクリステールとそう歳も変わらぬ」
父の言葉が、会話を思い返す度に最後に浮かぶ。
自分に何が出来るか、弟王子は考え続けていた。
*
「――わかる?」
そう言って悪戯っぽく笑ったグウィネヴィアは、誰もいないテラスの方へと歩いて行く。自分と彼女とでそこにいれば、皆遠慮して傍には来ないだろう。エドガーも、黙ってついて行く。
「あのね、あなたに夢を大事にしなさいって言っといて、自分は自分の気持ちから逃げ続けてるじゃないか、ってずっと思ってたの」
「夢、ですか」
「普通は違うんだろうなー……でも私にとっては、夢のまた夢、ってやつ」
夢のまた夢。
遠い表現を使っているものの、彼女の表情はやはり、明るい。
「今日、一歩近づいたんですね」
「そう。さっき、伝えてきた」
一瞬、エドガーの世界からパーティーの喧騒が、消えた。
「ジェフリーに、ずっと好きだった、って」
すぐに反応出来ずにいたエドガーを見て、グウィネヴィアは慌てて取り繕う。
「もちろんね、自分の立場はわかっているの。こんな事を言っても、彼を困らせるだけだっていう事も。けれど、怯えて何もせずにいるくせにあなたに『即位しようがしまいが』なんて言うのは、卑怯だな、と思って――」
「――貴女の想いを、第一に」
ようやく出た自分の声をどこか遠くに聞き、思いの外それが落ち着いている事にエドガーは安堵した。
「理由なんてつくらなくてもいいから。それが、貴女の大切な気持ちなのでしょう? ……なら、俺は応援します。なんなら、俺かマッシュがジェフを貴女のところまでひっぱりあげてもいい」
冗談まで出てきた。
「……堅苦しい一人称、ようやくやめてくれたんだ」
そんなエドガーに面食らった様子を見せながらも、グウィネヴィアが表情を綻ばせる。
やっぱり彼女は変わったな、とエドガーは思った。
だんだん相応のものへと変わっていく言葉遣いに、どこか、どんどん遠ざかっていく錯覚を感じた頃もあった。
「……ありがとう」
そう言って微笑む彼女の視線は、確かに自分に向けられている。
けれどこの極上の笑みは、尊敬する騎士・ジェフリー=マクラウドに向けられたものなのだ、と――
これから先、自分の反応出来なかった理由を彼女が知る事は、ないだろう。
公爵と一騎士の身分差だとか、そんな事を考えていたわけじゃない。
ただ、目の前でこんな笑顔を見て。
(あぁ、俺は一人の男としては見られていなかったんだな)
この身の身分のせいか、それとも、まだまだ子供だと思われているのか。
ひとつ確かな事は。
今彼女の前で笑顔でいられるのは、あの妙な「特訓」のおかげなのだろう。
祝宴からマッシュと共に引き上げ、まだ用があるからと告げて途中で別れた。
私室の方へ行くマッシュを見届けた後、ジェフリーを連れて夜の城内を歩く。
大広間から離れてしまえば、静かなものだった。
「どこへ行かれるのですか、エドガー様」
「模型を取ってくるんだ。もう、出来ているから」
「間に合ったのですね。明日にでもマシアス様に――」
「――見せない。やはりやめにしたよ、ジェフ」
「そう、ですか……」
ジェフリーにはいろんな話をした。だからこそ、マッシュに見せないと言った自分の言葉の意味をはかりかねているのだろう。
エドガー自身にも、よくわからない。ただ、今は、そんな気が全く起きなかった。
「そんなに深い意味はないさ。それにあんな機械を造るっていう夢を、諦めたわけじゃない」
模型を納めた箱を手に、ほぼ毎日マッシュと共に食事をとる部屋を見渡す。
時折、三人揃う事もある。
(父上に見て頂くには、まだ、駄目だ)
エドガーは、箱を調度品の裏に押し込んだ。
「そのようなところに…!」
「ここでいい。あとでばあやにでも言っておけば善処してくれるさ。掃除の時に捨てられる事もないだろう。マッシュと父上に見せられる日が来たら、食事の時に引っ張り出せる」
ジェフリーは困惑しているようだった。
けれどすぐに、そんな表情も消える。
「わかりました。……きっと、すぐですよ」
「そうだといいんだが、な」
15の誕生日が、終わろうとしていた。
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